ヨセフのメモ帖

パワースポットや占い、クリスタルなどスピ系を中心に、徒然なるままに…。

共有することって癒しになる

多くの人の目に見えないものや感じられないことを、「錯覚かな?でも錯覚とはなんか違う…」ということが、子供の時からしばしばあり、子供心にもそれを口にすると「変な人と思われそう」という気持ちがありました。

でも、私が口に出す前にその〝見えちゃうもの〟を隣にいる友達が先に言ってくれて、「○○ちゃんにも見えるんだ」と共有できてホッとしたということも。さらに、そこにいるもう何人かの友達には見えていなくて、「やっぱり、見える人と見えない人がいるのか」と実感したことも。

霊感や占い、精神世界、前世など「スピリチュアル系」といわれる話題でも、人によって信じられる内容とそうでないものがあって、スピリチュアルなジャンル全てが受け入れてもらえる訳ではないのも、最近特に感じています。

例えば、占いは信じないけど幽霊の存在は信じる、またはその逆とか。幽霊は信じないけど、宇宙人は信じているとか。

なので、(これも例えばのハナシだけど)占い好きの人だからと思って、前世の話をしたら胡散臭そうな顔をされるなんていうのもあるので、お互いに不快な思いをしないように、ある程度会話の線引きをすることもしばしば。

〝うちのコ〟とは誰もが日常会話している

で最近、アニマルコミュニケーション(AC)の修業を始めてからの気付きが。

それは、動物たち(昆虫なども含む生き物全般)と暮らしたことがある人は、ACの話をしても「この人、変なことを言う」と思わずに、結構すんなり受け入れてくれるということです。スピリチュアルな話に全く興味がない人でも。

なぜなら、〝自分ちのコ〟とは多かれ少なかれ日々会話をしているのを感じているからでしょうね。

AC講習を受ける前、先生に「今まで〝うちのコ〟とちゃんと会話していたんだと気付きますよ」と言われた通りですわ。当たり前なんだ、と。

そして、動物たちの共有・共感能力の高さにも気付きました。

動物たちと暮らすと人が癒されるのは、そういうことなんだ、と。

動物でも人でも、何かを共有・共感できる、してもらえるって癒しの基本なのかなと感じています。

「変な人」とただ思われるのではなく、スピリチュアルな話を遠慮なくできる友達や場所があるということも。

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そこにいるだけでも癒されちゃうけど

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