早朝の橿原神宮のお稲荷さまで白い小狐たちと遭遇
境内は明治神宮と似た空気感
奈良2日目は、早起きして朝食前の6時に「橿原神宮」へ。
この時間でも決して涼しいとは言えなかったけど、人影もまばらで朝特有の清々しさを楽しめました。
第一代天皇の神武天皇とその皇后をお祀りしていて、空気感やエネルギーの質は明治神宮と似ている感じがしました。森もあるし。
そして、帰ってから同宮の案内をよく読んでみたら、明治天皇が今の橿原神宮の創建に関わっていたとのこと。ああ、どうりで、と納得。
あえて違いを挙げれば、後ろにそびえる畝傍山(うねびやま)のパワーの恩恵。
明治神宮はどちらかというと、水+山のエネルギーが流れてきているイメージ。あんな都心の森なのにね。富士山の龍脈と関係があるからかな。
「季節がいい時に来られたら、この山にも登ってみたいねぇ」と山歩き好きの同行のA子と言っていました。
動物のようなあったかさが伝わってくる木
本殿をお参りした後、境内を散策しながらちょこっと木と対話。
苔をたっぷりまとったこの方は、とってもとっても温かくてビックリ。動物の体に触れているみたいでした。
人なつこくてあったかい。
こちらの体温(エネルギー)を増幅してくれるような感じ。
スタジオジブリ映画「となりのトトロ」のトトロみたいな木だなぁと思いました。
人見知りなのに好奇心旺盛な小狐さん
池の方も気になり行ってみると、お稲荷さまの鳥居が目に入りました。
入ってみたいけれど、なんか躊躇させられるものが…。
決して悪い気配ではないのだけど、「え、来るの?来るの?」とちょっと突っぱねられているような、警戒されているような。
足を止めた私を見たA子に「入っても大丈夫だよね?」と聞かれ、「悪い気ではないから大丈夫」と。
そしてお社にお参りした途端に、空気がすぅっと軽くなりました。
お参りしてみてわかったのですが、ここのお稲荷さまの眷属(けんぞく)で、好奇心はあるのにちょこっと人見知りな白い小狐たち(少なくとも2匹はいたかな)が、私たちの様子を伺っていたのでした。
ご挨拶をして警戒が解かれたら急に人なつこくなり、その後は、鳥居を抜けて戻るまで木々の間を元気よくピョンピョン跳ねてお見送りまで。
その姿に思わずプフフッと微笑んでしまう可愛さでした。
眷属は動物とは限らないけれど、アニマルコミュニケーションの応用で、こういう方たちとの交流も前よりわかりやすくなったかな、と感じた出来事でした。
これまで私があまりに無頓着だったことにも気付き、反省。
鳥居横の案内板によると、このお稲荷さまは橿原神宮が創建されるよりもずっと前からこの土地を見守ってきた自主神さま。
実は、お参りしたお社の前で「写真撮ってもよい?」と聞いたら「撮らないで」と眷属に言われちゃいました。
この土地にとって、とても神聖な場所なんだよね、ほんとすみません。
奈良の飛鳥寺、日本最古の仏像はなつかしいお顔
田園風景が広がる真夏の飛鳥をぶらり
「暑いっ」と声に出さずにはいられない、うだるような暑さが続く中、サクッと1泊2日で奈良へ。
約4年ぶりに訪れた今回は、高校時代からの友人・A子に誘われて飛鳥方面をぶらり。考えてみたら修学旅行含めても飛鳥には寄ったことがなく、全く初めての地にワクワク感アップ。
1日目は、仏像好きA子が会ってみたかったという日本最古の仏像がいる「飛鳥寺」をお参り。
殺人的な暑さにつき、橿原〜飛鳥のサイクリングは断念。「明日香周遊バス1日フリー乗車券」(650円)を手に入れて、近鉄・橿原神宮前駅から向かいました。
田園風景に溶け込んだ飛鳥寺は、こぢんまりとしたたたずまい。
前から知ってる人に会ったような感覚
本堂に入り、ご本尊の飛鳥大仏(釈迦如来坐像)にご対面すると、「あれ、どこかでお会いしましたか?」というなつかしさ。それもそのはず、子供のころから歴史の教科書で何度もお顔を拝見しておりました。
テレビで見たことがある有名人に街でばったり会ったような感覚ですわ。
住職さんの話によると、こちらのお寺は平安・鎌倉時代に2度の火事に遭ったそうな。大仏は補修されつつ今のお姿に。部分的には飛鳥時代のものだとか。
境内は小さめですが、気候が良ければしばらくボーッと座っていたくなる親しみ感と落ち着き感があり、奈良的なほっこり&まったりとした癒される空気でした。
ちょっと不思議な空間が、池のほとりに立っていた郵便ポスト。なぜここにあるのか住職さんに聞いてみればよかったと、後で思いました。
ここの消印は飛鳥寺バージョンなのか、普通のなのかも気になるところ。
次回は、ぜひとも投函してみたいなぁ。
日本最古のチーズといわれる「蘇」を食す
そして、飛鳥に来たなら食べてみたかった〝古代のチーズ〟といわれている「蘇(そ)」を飛鳥寺の門前にある売店で入手。
試食の感想は、チーズというより、わずかに甘みを感じる固形の濃い牛乳。甘くない生キャラメルといった感じ。
それもそのはず発酵食品ではなく、牛乳だけを長時間煮詰めて作られたものなので。昔の滋養強壮食品ですね。
売店のお姉さまは、コーヒーや紅茶と一緒にひとかけら食べるのがオススメと言っていました。
私はビールのお供にしています。
ワインとも合いそう。
つる草と格闘しつつ人生の課題に投影
庭の雑草取りで、ちょっと手こずるのがつる草。梅雨が明けてからも放置していたら、とんでもなく植木たちに絡まってました。
放っておくと植木が成長しないし枯れてしまうので、早朝なのに汗ダラダラで格闘しました。
つる草を黙々と取りながら、ふと思ったのが〝人生の課題〟について。
〝自分自身を植木〟に置き換えると、絡んでくる〝つる草は課題〟かな、と。
課題は尽きそうで尽きないけれども
先日友人から、「去年あたりから、似たような対人の悩みが続いてくるんだよねぇ」と相談されました。ちょっと前に一人の相手との問題が解決したかなと思ったら、他の手こずる相手から新たな問題を突きつけられたとのこと。
確かに私も似たような経験あるあると、思い起こしました。
結局それは相手との関係についてではなく、自分自身においての納得と関係があるのではないかと思ったことにつながりました。
〝類は友を呼ぶ〟というように、自分とどこかしら共通点のある人が周りに集まってくるものですが、ある種の共通点とともに反面教師的な対応を突きつけてくる人も中にはいます。もしかすると自覚していない自分の欠点の一部の投影なのかもしれません。
そこにただ反撃するのは、実は相手に同調するのと変わらないことで、その〝反面教師〟から学習し納得して行動や考え方に生かすことができたら課題クリアになるのです。
友人ともそんな話をしながら、「やっぱり今の課題なんだろうね」と。
もちろん人間関係に限らず、他のいろんな課題にも置き換えられるでしょう。仕事でも恋愛でも目標達成においてでも。
それで、つる草に話を戻しますと…
根っこを絶たないと、つる草は切っても切っても伸びて絡まってきます。
絡まったままだと植木(自分)も元気がなくなります。身動きが取れなくなります。
病気になり枯れてしまうことも…。
そして一方で気付いたのが、途中でチョキンと切りつつ何年も生え続けて成長したつる草は、土に近い方が草とは思えないほど頑丈に硬く強い茎(というより幹っぽい感じ)になっていて、さらに根っこも深く長くなっているのです。
(表面的に課題が解けたと思っても、根本的に納得していないうえに、悩みは根深くなっていくのと似てますよね)
まぁ、植物的には当たり前といっちゃ当たり前なんですけど。
何にせよ、早いうちに課題をクリアにできた方がラクですが、かなり苦労して時間をかけて課題を修了できたら、きっと爽快感もひとしおでしょう。
ぶっとい根っこを抜きとって「おお〜っっ、スッキリ‼︎」といった感じ。意外とちょっとした面白さもありです。