しっぽを失くした猫との出会い(2)
亡き愛猫に手伝ってもらい、お話にこぎつけた
ナラとのアニマルコミュニケーション(AC)は、実は簡単にはいきませんでした。
もともと、野良ちゃんや家族と暮らしていない子との遠隔ACは、警戒心が強いために話しかけるのがちょっと難しいことが多いのです。ナラの場合はとにかく心を閉ざしていて、なかなか応答してくれませんでした。
そこで奥の手。亡き愛猫・ミカを呼び出し、一緒にナラに話しかけてもらいました。
ようやく反応がありました!
幸せってどんなもの?
とにかく人馴れしてくれないと里親も決まらないので、
「ちょっとずつでも、スタッフの人たちと仲良くなれないかな? 仲良くなれたら、ナラちゃんにもいいおうちが決まるよ」
すると「ほんとうにいいおうちなんてあるの?」と。
「いいおうちは、いっぱいあるよ。家族ができたらきっと幸せだよ」と言うと、
「幸せってどんなもの?」と言われてしまい、ショックでした。
どういう意味でナラがそう言ったのか、正しくはわからなかったけれど、でも彼女が今幸せではないのだろうなというのは、とにかく感じられたので。
さらに「元の家には戻りたくない」「怖い。怖い。人が怖い…」とも。
やばい、心のシャッターがまた下りちゃった!
ナラはおしゃべりな子ではなく、返ってくる言葉は、ほんとにボソッボソッとした感じでした。
そうして〝おうち〟の話をしていると、「ヨセフのとこはダメなの?」と聞かれました。
「どうしてヨセフのところがいいの?」とたずねると、
「ミカちゃんが、幸せだったって」
…ミカの気持ちはものすごく嬉しいけど、今の私は新たな子を受け入れる気持ちではない。どうしよ…と思いつつ、期待させるような嘘は言えないので
「ごめんね。今は事情があってヨセフのとこはダメなの」と伝えました。
すると途端に、少し開いていたナラの心のシャッターが一気に下りた感じがしました。
あーあ、やってしまった…。
後日、このことをACの師匠に話すと、
「その子にほんっと残酷なことをしたよね!」と当然ながら叱られちゃいました。
がっくし。
*しっぽを失くした猫との出会い(3)へつづく
しっぽを失くした猫との出会い(1)
現在の相棒猫・ナラと暮らし始めて、もうすぐ丸1年。
しばしの間、彼女との出会いの記録を綴りたいと思います。
もう動物とは暮らさない
2017年11月22日に前の愛猫・ミカが旅立って、その後アニマルコミュニケーション(AC)の勉強を始めてからも、もうどの子も飼わない気持ちでいました。
ACの師匠のつながりで里親を探している子たちが常にいたこともあり、「ヨセフはもう新しい子を受け入れないの?」とよく言われていましたが、「無理です〜」と。
理由はいくつかあり、その子を失った時のペットロスが怖かったのも確かにあるけれど、色々な意味で身動きを自由にしていたい気持ち、そしてもし自分が先に死んじゃったら…という思いなどが引っかかっていました。
もちろん、動物と一緒に暮らす楽しさは掛けがえのない経験。でも、どうしても積極的にはなれませんでした。
付き合いで保護猫シェルターへ
そんな時、近くに住む友人が猫を飼いたいからと里親募集をしている保護猫シェルターに行くようになり、「そこにミカに似た子がいるから一緒に見に行かない?」と誘ってきました。
それだけではその話に乗り気にならなかったのですが、そのミカ似の子が全く心を開かず、手に負えないからコミュニケーションとってもらえないか、という相談もあったので。
その時は「じゃあ、ちょっとだけ」と、2019年10月、友人に付き合って行ってみました。
私が初めてそのシェルターに行った日は譲渡会の日ではなかったので、ガラス越しにその子の姿を見ました。他の子たちは元気に動き回っていたのに、ミカ似の子は天井に近いキャットウォークの隅の方に、微動だにせずにちんまりと座っていました。
シェルターのスタッフによると、その子は推定3〜4歳の女の子、多頭飼い崩壊と動物虐待の劣悪な環境からの保護で、2年近く前にしっぽを切断された血だらけの状態で捕えて病院で手当てした後、シェルターで面倒をみるようになったとのこと。
AC修業中の私の力では、その状況でその子とその場で話をするのは難しいので、後日遠隔でコミュニケーションをとってみることにしました。
*しっぽを失くした猫との出会い(2)へつづく
お不動さまのお護摩の火で、たまった垢落とし
私は特定の宗教を信心していないので(コチラを参照)、色々な所にお参りに行くし、様々な目に見えない存在に助けを求めること、しばしば。
先週は、「成田山川越別院」にお参りに行ってきました。
2020年は気付けば厄落とし年だった
私が生まれる前から、親が成田山信仰していた影響で、家族で行く初詣の一つが千葉県の「成田山新勝寺」。実家を出てからも毎年お護摩札をいただいて、わが家におまつりしています。
ただ昨年(2020年)は例外で、仕事の都合で予定が合わず、私だけ成田山に同行できませんでした。古いお護摩札のお返しとお参りには、折を見て行ってこようと思ったままコロナ禍になり、そのまんまあっという間に一年。
私は埼玉県人なので、成田は遠い…(というのは言い訳ですな)。そう思い、川越別院に行こうという気持ちも。
実は川越別院へは、お不動さまの縁日28日に開催される蚤の市を時々のぞいているので、その時にでもと思っていたのですが、新型コロナの影響で中止が続いたり休日と合わなかったりで、こちらにも昨年一年間、一度もお参りしないままでした。
で、その一年間のお不動さまへの不義理と、自分自身の魂の目的のシフトの関係と、地球のアセンション関係などが重なり、昨年は3段階ほどの〝プチ不幸期間〟に遭遇。
生まれ年では特に厄年ではないけれど、厄年みたいな感じだなぁと。
内容としては、大体が自分自身の注意力の欠如によるもので、まぁ後で笑い話になるレベル(なのでプチ不幸)。
そして、11月下旬頃のプチ不幸第3期に入ると、〝プチ災い〟の度合いは重くなり、心身もどっしりと重くなってくるし、どよーんと眠いだるいのなんの…。
何かが起こる度、「これは厄落とし。もっと大事になる前にちっちゃな厄をパラパラ落としてるのだ!」と自分に言い聞かせていました。
2021年は軽やかにいきたい
そうして、年明け。
年末近くに若干、体が軽くなり、正月には実家の氏神さまにもお参りし、2021年は軽やかになるぞ〜!と思ったにもかかわらず、アレレ…プチプチ不幸が勃発。
それも、一年前に無意識でやったことのツケが今回ってきたという内容。
世が変わるし、「蒔いた種は、自分で刈る」という時期かな、と自分を納得させつつも、やっぱり早く祓った方がいい!これは私にとっては不要不急ではないっっ!
成田山へは、この状況だから来月に家族で行こうと計画していたけれど、いてもたってもいられず、大本山よりはぐっとサクッと行かれる川越別院に一人でひっそりと行くことにしました。
この時期なので混雑はなく、本堂でのお護摩焚き(現在人数制限あり)にも参加できました。
そして、ここでちょっとした気付きが
要介護の父を車椅子に乗せて成田山に行くようになってからは、本堂には上がらずにお護摩札がいただけるのを別室で待っている年が続きました。
今回、数年ぶりに本堂でお護摩焚きの炎を目の前で見、お腹に響く大きな太鼓の音を感じていると、頭の上の方にチリチリしたものが上がって抜けて、どんどん体が軽くなるなる〜。
やっぱりスゴイ、お不動さま。ありがとう〜!
お護摩札はお守りで、祓いは祓いで必要なんだな。
やはりメンテナンスって大事。まとわりついた垢(邪気など)は定期的に落とさないと本当に体にも影響でるわぁ(こちらも参照)と、今更ながら実感。
*余談です
もう何年も前、プロのスピリチュアルの方にプチ不幸&体の重さを指摘された時、「お不動さまで護摩焚きがいいよ」と。その時は「深川不動堂」(こちらも成田山別院)に行きました。
当時も本堂で、チリチリと要らないものが頭の上から抜けていくのを感じたなぁと思い出し、喉元過ぎれば……あらららと、反省です。